secret of

sunadori-neko


スナドリネコとスナフキン――"スナ"の一致は偶然ではありません。

みきおちゃん(畏れ多くもいがらしみきおさんをこう呼んじゃいます)はムーミンのファンだったと思うんです。ぼくよりちょっと年上ですが大体同世代、小学生あたりに他のたくさんのアニメとともに虫プロによる初期のムーミンを見ていた世代です。地方の、それも都市部ではなく片田舎に生まれ育った者にとって、ムーミン谷って意外に身近なんです。山が近くで海も近くで、ビルとか舗装道路とか全然なくて。みんな身内で、よそ者なんかほとんど来なくて、来たら来たでそれだけで大騒ぎになって。雪国だから夏と冬とでは暮らし方が激変して。ムーミンの舞台ってだから、それほどエキゾティックではなく、みきおちゃんや私が育った環境そのものなんです。ムーミンはそう、他のアニメのように毎回楽しみにしていてかじりつくというものではなくて、何の違和感もなく自然に入ってきて、いつのまにか血や肉になってしまったものなんです。

さて、神の啓示を受けてその後上京して漫画家になろうとしたみきおちゃんにとって、都市というのはムーミン谷よりはるかに違和感のある異様な世界で、自分と都市(に住む者)とのギャップがネ暗トピアでは中心的なモティーフになってた気がします。でもただでさえ4コマ漫画のギャグものを描くのは大変なのに、そんなふうに他人(というか自分の分身)を笑い、自分を自嘲するという作業は大変なストレスになっていったのではないかと思うんです。

で、ある日突然休筆する。もし今度自分が何かを描くとしたら、その作業は、自分を否定するものではなく、かといって他人を「他者」であるということだけで嘲笑するのでもなく、おかしなことをおかしがり、不思議なことを不思議がり、好きなものをすきって言っちゃったりするそうしたものにしたいって。今度何か描くとしたら、一つのものを4コマで笑い飛ばして片づけちゃうんじゃなくって、自分のペースでどんどん考えちゃいたい。考えすぎてこわい考えになっちゃたりもするけど、考えちゃいたい。で、どんどん考えても、それを助けてくれて、で帰れなくなりそうだったらまた連れて帰ってくれるような友達がいるところで考えちゃいたい。そんな風に、みきおちゃんは思ったんじゃないか、と思ったんだ。思ったんだったら。


つづく